映画「ファイナル・ジャッジメント」が全国の映画館で公開されている。
涙を流す感動のシーンがあり、厚みのあるストーリー展開で大変見ごたえのある映画である。
国防の大切さはとりもなおさず、本当の「人権」とは何かという事も考えさせてくれる。
「人権」とは国が与えるものではなく、「全ての人間に等しく神から与えられた人間の尊厳」そのものである。
そして、「人間の尊厳の元にあるのは信仰の自由」である。
民主党の進めている闇法案の一つに「人権救済法(仮名称)」がる。これは、取り締まりの対象が曖昧である上、人権委員会いう司法とほぼ同権限を持つ独立機関が、人権侵害や差別的助長行為などを取り締まるという法律である。すでに、男女機会均等法、児童虐待防止法、障害者虐待防止法、ストーカー規制法、など個別の法律が施行され機能しているのに関わらず検討が進んでいる。この法案は、特別な権限を持った人権委員会が「人権」を侵害しているという名目で、一方的に他方の「人権」特に言論の自由を奪うことができ、政権に都合の悪い思想を取り締まることができる危険な法律にもなりうる。独裁政権下での特殊警察と同様の事態が起こりうると言っても過言では無いと思う。これは民主党の持っている国家社会主義の一面を表している。
今、本当に「人権」を問うのであれば、中国共産党に侵略された、チベット、東トリキスタン(ウイグル地区)、南モンゴルの人々への迫害や虐待、また中国国内における言論統制や言論弾圧、宗教弾圧を問うべきである。
集会や言論の自由はもとより信教の自由も奪われ、それに違反した者は思想犯として投獄され拷問され殺されている。
しかし、何故かこの実態は日本のマスコミではほとんど報じられていない。
映画「ファイナル・ジャッジメント」でも表現されているが、実態(特に侵略された民族に対して)はこれの10倍~100倍凄まじく残虐であると言われている。
「人権」という聖なる言葉を政治の具するのではなく、自由と繁栄を謳歌している日本が「人権」を無視している国家に対し毅然たる態度を示すことが、今、アジアから全世界から求められている。
自らの主体性や自由を守る行為は「人権」そのものであり、日本という国を自ら守るという行為も「国の権利」そのものである。